誰とも繋がらず

平日の朝、福岡市美術館へ。

館内のカフェも人が少なくて居心地がいい。

 

紙コップに入った

普通のコーヒーが¥400なのは

高いと感じるけど、

素晴らしい作品の宝庫の常設展が¥200で

不思議なバランス感。

 

常設展は毎月見に来ているけど、

毎回発見があって深い満足感を味わえる。

泣きたくなるくらいの美しさ。

 

藤田の仰臥裸婦、

シャガールの空飛ぶアトラージュ、

ラファエルコランの海辺にて。

こんなに美しいものが人の手から生まれたなんて!

と静かに感動してしまう。

 

人間の可能性に圧倒される。

 

感動の邪魔をしたりされたり、が嫌だから、

人の少ない時間に、一人だけで行くのがベストです。

 

 

いつでも、すぐ行ける距離に、

素晴らしい作品があることが嬉しい。

とても救われる。

 

私の場合、芸術が沁みる時は

生活の色々なバランスがとれている時。

 

今に感謝して

今を感じる。

 

日常と非日常

長いインド旅行から戻り、

何事もなかったかのように

元の生活に戻っている。

 

変わらない仕事、

変わらない人間関係なのに、

なぜか新鮮に映るのは、

旅先で見たものの影響がある。

 

インドは、

保守的な私にはとにかくカルチャーショックが大きく、

ここも同じ地球の一部なのか?と驚きの連続だった。

 

40度を超える気候、

現地の人の鋭い眼差し、

近すぎる距離感、

宗教観…

 

とにかく目に映るもの全てが

強烈で衝撃的だった。

 

ガンジス河のもとに滞在し、そこで見たものは、

今後の人生に大きな影響を与えるような価値観だった。

 

生も死も、幸も不幸も、全てを包んで流れる河。

ただの大きな川、ではなく

人間が本来の人間らしい姿で過ごせるような場所だった。

 

世界中の多くの人々が目指す場所の、

偉大な存在感が確かにあった。

 

 

日本に戻って、ふとした時に、

「この瞬間もガンジス川は変わらずに流れて

今夜も盛大なプージャー(お祭り)が行われ、

その傍らでは絶えず火葬が行われているのか。」

と考えると、ぞくっとする。

 

あの場所が、今の私の生活からは遠すぎて、

同時に存在していることが不思議な感覚になる。

 

それでも、

自分の生活とインドの時間とを比較した時、

自分の生活のほうが不自然なようにも感じる。

 

パソコンに向かって1日を過ごし、

人とも距離を置いて関わり、

手元のスマホから知った情報で、

全てを知った気になってしまう生活。

生きてる実感を感じることはそうそうない。

 

インドではヒリヒリするほど、

いろいろなことを感じた。

 

インドでは心の目を開いて過ごし、

日本では感覚の全てををおおって

眠っているような違い。

 

 その違いを知ることが出来たのは大きい。

これからこの違和感を除くために、

考えて生きることができるから。

 

いま、自分や周りの人たちが

生きていて、そして生かされている意味を考えたい。

 

なんとなくで日々を過ごしちゃいけないと、

インドに行って感じた。

 

感じたり考えたり行動したりを、

絶えずし続けないともったいない。

感覚を働かせ続けたい。

 

同じ生活を送るにしても、

違う視点があることで豊かに過ごせると信じて。

 

 

***

 

同行してくれた夫には心から感謝しています。

異文化を楽しむ姿勢や、

急なアクシデントにも柔軟に対応できる彼に、

いつも救われて、頼もしく心強い存在です。

私はいつでも

おろおろ余裕がないことが多いので…。笑

 

自己顕示欲について

私を見て!という自己顕示欲にあふれたSNS

 

みんなのむき出しの欲望を眺めていると、

とても消耗してしまう。

 

人と自分を比較したり、

人のセンスを無意識に良い悪いと、

評価している自分にも辟易とする。

 

 

自分の投稿も振り返ると、

根底にあるナルシストな感情が丸見えなような気がして

ドキッとした。

 

自己顕示欲がない事が美しいのかはわからない。

でも、少なくとも、むき出しなのは見苦しい。

 

SNSを眺めることに飽きているのに、

習慣で見てしまう自分にも呆れる。

 

 SNS の類を一切していない友人は

日々をどうやって過ごしているんだろう?

と思ってしまう自分も

洗脳されている感じがして怖い。

 

SNSとの付き合い方を見直したいと思っている。 

 

SNSの影響で不自由になった事の1つが

自由な創作活動。

 

以前の自分は、

絵を描いたり物を作ったりが大好きだったし、

気軽に作品をSNSに投稿することも好きだったのに、

公開する事が目的で作るようになってしまって、

創作活動にも作品にも魅力を感じなくなった。

 

公開することが目的だと、作ることが重い作業になる。

でも、公開しないための作品を作るのは

モチベーションが上がらなくて今の自分には難しい。

作る目的がないと作れない。

 

それでも、

とても個人的で、自分のためだけの創作をしたいと願っている。

 

人からの評価を目的としたりしない創作。

課程を楽しんで、自分を癒すための創作。 

 

個人でも簡単に作品を販売できる時代に、

自分を喜ばせるためだけの作品を作ることは難しいから、

とても尊く感じるようになった。

 

意志がないと創作一つできない弱さに勝ちたい。 

 

 

2019.06.14.

 

 

久しぶりにブログを始めてみました。

これまでも、

ブログを書いていた時期はあったけど、

人に読まれることに違和感を感じて

何年も前に辞めていました。

 

「自分の考えていることをさらけ出すこと」

「読んだ人がどう感じるかまで考えを巡らせること」

ブログだから人に読まれるものなのに、

ひとりで勝手に負担に感じていました。

 

また、

夫や信頼できる人たちに出会い、

私を受け入れてくれる存在ができたことで、

ブログに書いて誰かに聞いてもらいたい思い

は消えていきました。

 

そのあとはひっそりと

日記帳に日々の記録をしていました。

 

 

 

でも、

久々に始めてみようと思ったのは、

知人のブログを読んだからです。

 

日々の記録や思いを、

リラックスして楽しんで綴られていて、

とても素敵に見えました。

 

美しい風景が浮かぶような

豊かな表現も魅力的でした

 

また始めようかな、と思える勇気をもらいました。

 

あと、パソコンを買い換えたので、

もったいないから活用したい為でもあります。

 

SNSはなんとなく

窮屈になっていたので、

ひそひそと楽しみたいです。

 

 

2019.06.13.